列車運行希薄ダイヤ線区名鑑
1日の列車運行本数の少ない線区です。現行線・廃止線を含め1980年代以降目に留まった線区を集めてみました。
赤字は既廃止線。
本数 | 会社名・線名 | 線区・距離 | 備考 |
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1往復 | 国鉄 清水港線 (全線) |
清水〜三保 8.0km |
1984.3.31をもって廃止。元は旅客4往復あったらしい。貨物主体だったと思われる。沿線にある高校の学生の通学列車となっていた。全国でも珍しい可動橋があった。 |
JR 札沼線 (末端) |
浦臼〜新十津川 13.8km |
かつて5往復の時代もあったが1986年のダイヤ改正で3往復に、さらに2016年に1往復に減らされたうえ2020年5月6日をもって廃止。末期の減便は経営問題のあおりを受けたような。しかし利用者が少なかったのは確か。さらに新型コロナウィルス騒ぎの影響で正式廃止に先立ち4月17日で運行終了の憂き目に。 | |
2往復 | 国鉄→JR 名寄本線 (湧別支線) |
中湧別〜湧別 5.0km |
1989.4.30をもって廃止。中湧別では湧別支線を真ん中に名寄本線、湧網線が分かれるきれいな三方分岐が見られた。湧別は有人駅。線区の中ほどに四号線仮乗降場があった。 |
国鉄 福知山線 (尼崎港支線) |
塚口〜尼崎港 4.6km |
福知山線脱線転覆事故の現場のカーブの映像が目に焼きついたが、ここをカーブせず真っ直ぐ南下していたのが尼崎港線。南半分は住宅地にもかかわらず利便性の悪さから乗客は極めて少なかった。廃止後の敷地は道路に転用されているほか、震災被害救済のための宅地化が目立つ。1981.3.31をもって廃止。 | |
国鉄 播但線 (飾磨港支線) |
姫路〜飾磨港 5.6km |
1986.10.31をもって廃止。線区の北半分は山陽電鉄と並走。途中の飾磨、終点の飾磨港駅は有人駅。飾磨港は側線が6,7本ある広い構内だった。 | |
南海 和歌山港支線 (末端) |
和歌山港〜水軒 2.3km |
2002.5.25廃止。和歌山港支線(和歌山市--水軒)は和歌山県自身の免許線。港湾沿いを走る。貨物輸送を見込んだ線区だったらしい。上記の国鉄3線は朝夕それぞれ1往復だったが、この線は午前午後とももう少し正午寄りのダイヤだった。 | |
3往復 | JR 小野田線 (支線) |
雀田〜長門本山 7.1km |
1980年代には10往復くらいあったのだが、2010年代には3往復にまで減らされ、札沼線の末端区間亡き後、JR最難関乗車区間になってしまった。終点・長門本山は周防灘に面している。 |
国鉄 白糠線 (全線) |
白糠〜北進 33.1km |
1983.10.23廃止。終着駅・北進は足寄に向って線路が延びることを期待して命名された駅。国鉄再建法に基づくローカル線廃止第1号として知られている。 | |
国鉄→JR 深名線 (区間) |
朱鞠内〜名寄 43.0km |
1995.9.3廃止。深名線のうち北側1/3のこの区間は屈指の豪雪地帯。人口も希薄で、末期には線路に先がけいくつかの駅が廃止に。朱鞠内湖(湖面は干上がっている)が見えるポイントがあった。 | |
国鉄→秋田内陸縦貫鉄道 角館線 (全線) |
角館〜松葉 19.2km |
鷹角線(構想時名称)の一部区間として開業していたが、全通しなければ本数を増やす意味のない線区だった。秋田内陸縦貫鉄道の南線として引き継がれ、1989年に全通し運行本数が増えたが、近年その存続も怪しくなってきた? | |
国鉄→JR 岩泉線 (末端) |
岩手和井内〜岩泉 28.4km |
1980年代後半に減便させられる前は5往復くらいあった。元々は三陸線(構想時名称、現三陸鉄道)の小本までの一部として建設。終点・岩泉駅は途中駅の設計である。2010年の土砂崩れ災害のため休止、2014.3.31をもって廃止となった。 | |
国鉄 日中線 (全線) |
喜多方〜熱塩 10.3km |
1984.3.31をもって廃止。廃止前の各駅舎は手入れされず荒れ放題。終点・熱塩駅舎は廃止後に再整備された。「日中に列車が走らない日中線」とよく揶揄された。 | |
国鉄 漆生線 (区間) |
漆生〜下山田 4.3km |
それぞれ1986.3.31、1988.8.31をもって廃止。線名が異なる2つの線区だが、一体化した機能を担うはずだった。しかし線路が出来たとき石炭輸送はお呼びでなかった。のどかな山里を走っていた。(*下山田〜上山田は10往復以上、上山田〜豊前川崎間は4往復だったが、連続する同じ性質の線区のためこの欄に掲載する)。 |
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国鉄→JR 上山田線 (区間) |
*下山田〜上山田〜豊前川崎 2.0+11.5km |
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国鉄 鹿島線 |
鹿島神宮〜北鹿島〜鹿島港南 +15.4km |
1978年の成田空港開港に伴う燃料輸送線として開設、旅客はその見返り営業だった。有刺鉄線に守られた中を走っていたという。燃料がパイプライン輸送となったことで1983.11.30をもって廃止。北鹿島は現在の鹿島サッカースタジアム駅である。未乗。 | |
鹿島臨海鉄道 | |||
4往復 | 国鉄・美幸線(美深〜仁宇布) 国鉄・標津線(中標津〜厚床) 国鉄・冨内線(振内〜日高町) 国鉄・宮古線(宮古〜田老) 国鉄・会津線(会津田島〜滝ノ原) 国鉄・魚沼線(片貝〜西小千谷) 国鉄・三江線(浜原〜口羽) 有田鉄道(藤並〜金屋口) |
4往復ともなるとさらに線区が多くなる、と思いきや意外に数が伸びない。一番中途半端な本数なのか。その中でも印象が強いのは美幸線。国鉄が発表していた赤字ローカル線ワーストワンの常連。地元ではこれを逆手に取り、「日本一の赤字線で松山温泉へ」などとPRしていた。変わったところでは、有田鉄道が末期に4往復となったが平日のみの運行、週末はバス輸送だった。 現存線は宮古線(現三陸鉄道)、会津線(現会津高原鉄道)、三江線のみである。 |
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0往復 | 国鉄 士幌線 (末端) |
糠平〜十勝三股 18.6km |
廃止でもないのに列車が来ない、別に災害による運休でもない。こんな変則路線がかつて北海道の山奥に存在していた。日本で唯一利用者減で代行バスが走った区間。利用者が増えたら列車運行を再開する約束だったが、増えることはなかった。 |