ママのシチュー
西川 なつみ


 ボクの名前はまいと。ボクの通っているハマナス保育園のすぐ横にはポンポコ山がある。 ポンポコ山には、すべり台や、小さなトンネルもあって、ボクたちは、帰りのよういができると、 ポンポコ山で遊んで、ママたちがおむかえにきてくれるのを、待っているんだ。
「あっ、ママだ」
 ポンポコ山のてっぺんから、ママの車を見つけたボクは、すごいスピードでかけおりていった。 だけど、少し前でブレーキをかけて、ママにはぶつからないようにした。そのわけは、 ママのおなかには、赤ちゃんがいるから。もうすぐ、ボクはお兄ちゃんになるんだ。

「先生、さようなら」
「まいと君、また明日」
 もりた先生は、いつも、しゃがんで両手をとって「また明日」って言ってくれる。
 ボクは、先生の「また明日」が大好きなんだ。先生の両手はあったかくて、また明日も、 保育園にくるぞって元気がわいてくる。
 きっと「また明日」は魔法のことばなんだ。

 ママは、赤ちゃんが生まれるまで仕事を続けている。だから保育園のかえりに、 ボクといっしょに買い物に行くんだ。
「まいと、今日の晩ごはんは何がいい?」
「ぼくシチューが食べたい」
「そうだね。おねえちゃんも好きだし、今晩は寒くなりそうだから、シチューにしようか」
「わーい。やったぁ」
 スーパーの袋につめた荷物を車にはこぶのは、ボクの仕事。だって、パパが
「まいと、ママが重いものを持ったりすると赤ちゃんによくないんだ。まいとは男だから パパがいない時は、まいとがママを助けてあげなさい。たのんだよ」
と言っていたから。
「ただいまぁ」

 ママとボクが一番先に帰るから、お家にはだれもいないけれど、いつも元気よく 「ただいまぁ」と言ってうちに入る。
 ママが言うにはうちのるす番をしていてくれた神様に
「ただいま。ありがとう」
って言っているんだって。
「ママ、ママ早くシチューつくってよ」
「がんばっておいしいシチューをつくるからね」
 ママは、はじめに、うでまくりをして手を洗う。それから、ゴツゴツのじゃがいもの 皮をむいたり、玉ねぎもたくさん切ってる。
「ママ、どうして泣いているの」
「玉ねぎを切るとね。からい玉ねぎのつぶが空気の中をフワフワとぶんだよ」
「今もとんでいるの」
「まだ、とんでいるかもしれないね。まいともお手伝いしてね」
「ハーイ。にんじんをお花の形に切るんだよね」
 かたを使ってお花の形にくりぬくのが、ボクのとくいなお手伝い。
 それからママは、肉に塩コショーをして、野菜といっしょにいためてと大いそがし。
「おなかすいてきたなぁ」
「よーし。それじゃ、パワーぜんかいでがんばるからね」
 ママは、そう言ったあと、すぐに
「あっ」
って、ビックリした顔でおなかに手をあてる。
「どうしたの?」
 ボクがあわててママのそばまで来ると、ママはにっこりして言った。
「赤ちゃんが、今うごいたよ」
「どこどこ?」
 ママはボクの手をとって、おなかの上にあててくれた。
「ほんとうだぁ。うごいている。元気な赤ちゃんだね」
「はやくお兄ちゃんに会いたいって言っているんだよ。きっと」
「ぼくも、はやく会いたいな」

 ママはスープがふっとうしてきたところで、火を小さくしてアクをとっている。
「ママ、まだあ」
「もう少しだよ。待っていてね」
「おなかペコペコだよ」
「このアクをきれいにとってあげないと、おいしいシチューにならないんだから、 がまんがまん」
 ボクは、フーッとため息をついた。ママはおなべにふたをして、今度はサラダを つくっている。でもシチューのおなべは火にかけられたままグツグツいっている。
(あーぁ、あんなにもやしているよ。だいじょうぶかなぁ)
 ボクはちょっと心配になってきた。
「ただいまぁ。あぁいいにおい」
 おねえちゃんが学校から帰ってきた。ボクのおねえちゃんは中学生。
「おねぇちゃんおかえり。今日、おねえちゃんの大好きなシチューだよ」
「やっぱりね」
「まやか、おかえり」
「ただいま。ママ、おなかペコペコ」
「さあ、ふたりとも、手洗っておいで」

「まいと、シチューのお皿とスプーンだしてちょうだい」
「はーい。ねぇママ、シチューまだもえているよ。だいじょうぶ?」
「だいじょうぶだよ。それからね。まいと、シチューはもえているんじゃなくて、 にているんだよ。お肉とやさいを、時間をかけてコトコトにこんで、おいしい シチューのできあがりぃ」
「ふーん。もえてるんじゃないんだ。コトコトにこんで、おいしいシチューの できあがりーなんだ」
「そうそう」
「ただいまぁ。おお、さむい」
「パパ、シチューだよ」
「おっ、シチューか。そとさむかったんだぁ」
 パパはそう言って、冷たい両手でボクのほっぺをはさんだ。
「きゃっ、つめたーい」
 ボクはびっくりして首をひっこめた。

「さあ、できあがり」
 みんなそろってテーブルについて。
「いただきまーす」
「いただきます」
「はい。おあがりなさい」
 ボクはニコニコ顔で、シチューをひとくちパクリ。
「アチ、あついよぉ」
 ボクはスプーンを皿の中にほうりなげた。
「まいと、こうしてフーッ、フーッてして食べるとだいじょうぶだよ」
 ママがおしえてくれた。
 おねえちゃんも、ママとおなじようにフーッてして、大人みたいに すまして食べている。
(ボクだってできるよ)
「フーッ、フーッ」
 もう一度スプーンを口に入れてみた。
 だけど、ホクホクのジャガイモが、口の中でわれた。
「アチッ。あついよぉ。ママがあんなにシチューをもやすからいけないんだ。 ママのせいだ」
 ボクはひっくりかえって、足をバタバタさせた。おねえちゃんのイスを何回も けとばした。スプーンもどっかへとんでってしまった。
「まいと、ママがいっしょうけんめい作ってくれたのに、そんなこと言うなら、 もう食べるな」
 パパがおこった。
 ボクだって、すごく食べたいのにたべられないし、もうくやしくて悲しくて 涙がとまらない。
「もういいよ。ママのシチューなんて食べない。ママなんかだいきらいだ」
 ママの悲しそうな顔が目のすみっこに見えた。ボクは部屋のドアを思いっきり バタンとしめてベッドにもぐりこんだ。
(ぼくが悪いんじゃないよ。ママがあんなにシチューをもやすからいけないんだ)
 ボクは泣きながらねむってしまった。

「まいと。おはよう、朝ごはんだよ」
 おねえちゃんがおこしに来てくれた。
「おはよう」
 ボクの言葉より早くおなかがクーッとなった。
 おねえちゃんは笑いながらいった。
「おなかすいたんでしょ」
「うん。ペコペコ」
「さぁ、朝ごはん食べよ」
「うん」

 保育園のお帰りの時間になって、みんなのママがおむかえに来ても、ボクのママは来ない。
お友達がみんな帰っていってしまった。ポンポコ山のすべり台を何回もすべってもママは来てくれない。
(どうしちゃったんだろう)
 しばらくして、もりた先生がボクを呼びに来た。
「まいと君、いま、お父さんから電話でね、お母さん、赤ちゃんが生まれそうだから、病院へ行きますって。 それでね、今日はおねえちゃんが、おむかえに来てくれるんですって。それまで、先生と待っていようね」
「うん」
 ボクはそう返事したけれど、心の中で思った。
(病院へ行く前にボクをむかえに来てくれればいいのに)
 赤ちゃんが生まれるのはうれしいはずなのに、ボクは、ちょっとさみしいようなへんなき持ちになった。

「ただいまぁ」
 おねえちゃんとふたりで、うちに帰ってきたけど、ママがいないと、なんだか元気な声が出ない。
「あっ、ママのお手紙だ」
 テーブルの上にママの手紙がおいてある。
「おねえちゃん、よんで」
『まやか、まいと、おかえりなさい。ママは病院に行ってきます。おねえちゃんにシチューあたためてもらって 食べてね。まいともおるすばんおねがいね』
ボクはだまってうなずいた。
「まいと、シチュー食べようか」
「うん」
 おねえちゃんが、シチューをあたためてくれている。おなべのなかでシチューがクツクツゆれて、 だんだんいいにおいがしてきた。こがさないように、かきまぜながらおねえちゃんが言った。
「まいと、きのうあつあつシチューを食べれなくてざんねんだったね」
「ざんねんってなあに」
「うーん。そうだなぁ。ママのあつあつシチューが食べれなくて、そんしちゃったねってこと」
「うん。そんしちゃって、ざんねんだった」
「すごぉく、おいしかったよ」
と言っておねえちゃんは二ッと笑った。
「おねえちゃんのいじわる」
 ボクが口をとがらせて、そう言ったとたん、おなかがグーッとなった。
「うそ、うそ、さぁ食べよ」

 きのうみたいに、やけどするほど熱くはないけど、ママのシチューはやっぱりおいしい。
「ママだいじょうぶかな」
「だいじょうだよ。パパがついているんだから」
「うん、そうだよね」
 ちょうどその時、電話がなりだした。
 プルルルル、プルルルル……
「きっと、パパからだ」
 おねえちゃんが電話に出た。
「もしもし、パパ」
「うん、うん、わかった。すぐ行くよ」
 心配そうに見上げているボクに、おねえちゃんはニッコリ笑って言った。
「赤ちゃん,無事生まれたって。二人で、タクシーに乗って、病院においでって」

 赤ちゃんは、ママの横の小さなベッドの中でねむっている。
「かわいい」
 おねえちゃんが言った。
「ちっちゃいね」
 ボクもベットをのぞきこんでみた。
「まやかとまいとだって、こんなに小さかったのよ」
「へぇ、ほんと」
「ねぇ、男の子、女の子」
と、ボクは聞いてみた。
「女の子よ。まいとのいもうとだよ」
「名前も、もう決めてあるんだ」
 パパがそう言って、名前が書いてある色紙を見せてくれた。
「ま・き・ほ」
「まきほ」
「そう、まきほちゃんだよ。よろしくね」
「パパ、どうしてまいとにも、私にもそれからまきほちゃんにも同じ(ま)って字がついているの」
 おねえちゃんが、そうたずねると
「みんなにつけた(真)という字は、真心からとったんだ。本当のものをみつけることができる心を もってほしいと思ってつけたんだ」
 パパはそう答えた。
「それからね。三人がきょうだいですよって神様にもすぐわかるように、同じ字をつけたのよ」
とママも答えてくれた。
「そうなんだ。まきほちゃん。よろしくね。おねえちゃんだよ」
 そう言って、おねえちゃんは、 まきほちゃんのほっぺをやさしくさわった。
「赤ちゃんのほっぺってフワフワだね」
 まきほちゃんは、くすぐったそうにくびをすくめた。
 ボクもおねえちゃんのまねをして
「まきちゃん。おにいちゃんだよ。よろしくね」
 なんだか、お兄ちゃんっていう言葉がくすぐったくて、ボクはまきほちゃんみたいにくびをすくめました。 そして、ほっぺにそおっとさわってみた。
「ほんとだぁ。ホワホワで、わたがしみたい」
 まきほちゃんは、小さい口をまあるくあけて、あくびをした。
「さあ、ママもつかれているし、ゆっくり休んだほうがいいよ。二人とも、また明日会いにこよう」
「うん、まきちゃん、また明日くるからね」
 おねえちゃんがそう言ってちっちゃな手にさわると、まきほちゃんは、おねえちゃんのゆびをにぎりしめた。
「あくしゅしてるみたいだね。ボクにもかわって」
 ゆびを近づけると、まきほちゃんはむすんでいた手を開いて、ボクのゆびをギュッとつかんだ。
「小さいけど、ちからもちだね」

 ママに「おやすみ」を言ってびょうしつをでたボクは、
「あっ、わすれもの」
と、言ってママのへやにもどった。そして、まきほちゃんのそばまで行くと、耳元で、
「まきちゃん。ママのシチューはね。コトコトじかんをかけてにこむから、おなかがへっちゃうけど、 すんごくおいしいよ。大きくなったら、いっしょに食べようね。おにいちゃんがフーッ、フーッって してあげるよ」
 ボクは、もう一度ゆびを出して、あくしゅした。
「じゃあね。おやすみ。まて、あ・し・た」
 ボクはぜんぜん気がつかなかった。ママがうしろでクスッとわらったことを。